見たことのない絶景の前に立ちたい。
誰も行ったことのない場所に行ってみたい。
自分を知る人がいない、異国の喧騒の中に身を置きたい。
日常を過ごしていると、そんな欲望に掻き立てられることがあります。
そう思った瞬間こそが、旅の始まり。今回は自然を感じる旅、文化に触れる旅、移動のよろこびという三つのテーマを掲げ、旅に出るきっかけになってくれるような本を集めました。旅に出ると自然と心が解き放たれ、普段の生活で抱え込んだ澱みを洗い流してくれるだけでなく、その記憶が心にずっと残り続けます。
単調な日常がつまらなく感じるとき、会社や教室が息苦しくなったとき、旅の記憶は一瞬でも気持ちを解放して、目の前の空間だけがすべてではないと教えてくれます。
また旅に出たいと思っているあなたに、読んでほしい本たちです。
展示場所:本館1F GRAND PATIO
展示期間:2023年8月1日〜11月30日
僕は今年から東京と京都で2拠点生活をしているのですが、とくに京都では、最近国内外の観光客が増えてきたなと感じています。しかも、先日大きなスーツケースを買おうとしたら、軒並み売り切れていたんですよ。みんな動いているんだなあ、と実感しました。オンラインで世界中を気軽に見れるようになっても、自然に体が動いてどこかに行きたくなる。知らない場所で、そこの空気を目一杯吸い込んで、普段とは違う何かを取り入れたくなる。「旅に出たい」という気持ちは、人間にとって根源的な欲求なのではないかと思います。
今回は、「自然を感じる旅」「文化に触れる旅」「移動のよろこび」と3つのテーマにわけ、あえて旅行記や旅エッセイに限らずに選書しました。なぜなら、旅の要素は、そもそもすべての本に備わっているものだからです。
まず、今回の選書にぜひ入れたいと思っていたのが、『天路の旅人』です。『深夜特急』で広く知られる沢木耕太郎さんが、第二次世界大戦中に日本の密偵として中国の奥地に潜伏していた西川一三さんに話を聞きにいき、およそ25年の時間をかけて書き上げました。西川さんは戦争が終わったあとも、8年間、自然の厳しいアジア西域で旅を続けることを選び、『秘境西域八年の潜行』という自身の本も書いています。
沢木さんは、西川さんの旅をただトレースするのではなく、「そもそも“旅をする”というのはどういうことなのか」を、西川さんを通してもう一度考え直したかったんだと思います。なぜ戦争が終わっても動き続けてしまうのか。なぜ勝手に足が動いてしまうのか。見知らぬ場所に向かって歩き続ける、一人の人間の描写がとても興味深い一冊です。
「自然」というカテゴリーでは、『ウォールデン 森の生活』を挙げないわけにはいきません。著者のソローは1817年生まれで、1930年代にアメリカ産業革命が起こりました。それが豊かさをもたらすものだと人々が喜び勇んでいた時に、ソローは突然ウォールデンという湖のほとりに家を建て、2年2ヶ月の間、ひたすら自給自足のような生活を送るんです。
一定期間、静かな自然に身を委ねて、自分を見つめ直すことがもたらす何か。その生活の中でふと思ったこと、考えたこと、実践していることの共通と差異。そういったことが、この本に書かれています。自然の中って、すごく暑かったり寒かったりするし、虫も多いし、不自由じゃないですか。でも、そうした煩わしさから見えてくることや、自然と対峙した時に感じる人間の小ささが、然るべき場所に心を戻してくれるんじゃないかと思います。
『ESCAPE』は、ロサンゼルスを拠点に活動する写真家グレイ・マリンの写真集です。オーストラリアのバイロンベイやナミビアの平原、ニューヨークのセントラルパークなど、世界各地の22ヶ所が、とても鮮やかに写し出され、「旅に行くぞ!」という気持ちを盛り上げてくれます。題名そのまま「逃げる」というよりは、自然に「還る」ような感覚にもさせてくれる、見ているだけで気持ちのいい一冊です。
一方、『深い沈黙』は冬山の景色をおさめたモノクロームの写真集です。著者の小林紀晴さんは「冬枯れした木に覆われた山や曇天がすごく美しいと思ったわけではなく、どちらかというと死の匂いを感じた」「目を背けたかった風景には変わりないが、それでいてふと凝視していると心が穏やかになっていくのだった」と語っていて、この言葉に、僕は静かに共感しました。本当に綺麗な場所に行くことももちろん素敵ですが、好きか嫌いかもわからないものをずっと眺めているだけで、妙に心が落ち着くということもあるんです。対照的な2冊ですが、どちらも旅の本質が表現されていると思います。
旅先の地場、つまり「文化」に注目してみるという点では、『アイルランドモノ語り』はいかがでしょうか。アイルランド文学の翻訳者として知られる栩木伸明さんが、現地で出会ったへんてこなものを通して、その場所・その文化を語る本です。例えば、メイヨー州の「国立田舎暮らし博物館」のミュージアムショップでたまたま見つけた、わら製のコーンヘッドのようなものに「これはいったいなんだろう?」と興味を抱き、どのように生まれてきたのか、なぜこのような作られ方をしたのかなどを探っていきます。すると、メイヨーの歴史はもちろん、古代ケルトの文化や、アイルランドのいにしえの伝統と繋がってくるんです。
ほかにも、馬車や気球など、決して高価でも有名でもないモノたちが紹介されているのですが、それらを辿っていくことで、アイルランドの風土や歴史が本当によくわかるんですよね。偶然出くわしたモノを起点に、ちょっとずつ「モノ語り」を手繰り寄せることもまた、旅の醍醐味ではないでしょうか。
『地球の食卓 世界24か国の家族のごはん』は、「文化」という意味ではとてもストレートな本で、世界24カ国のごはんをひたすら追っています。各国の家庭に1週間分の食材を全部並べてもらうことで、土地の風土、人々の生活、家庭料理のレシピ、はたまた政治状況や国民性までが見えてくるんです。しかも、平均的な家庭の様子を表しているのではなく、一つの国でも複数の家族が登場するので、同じ国の家庭でも全然違った食卓の様子を見ることができます。
どの国の家族も、根源的な「食べる喜び」を大事にしているところがいいですよね。まさに世界の食卓を通じて、自分たち以外の人を知ることができる1冊です。出版当時の2006年と比べると、とくにアメリカなどのインフレが進んでいる国は状況がまったく違うので、見比べてみるのも面白いかもしれません。
そもそもコロナ禍の間、僕たちは移動すらままなりませんでした。飛行機に長時間乗っていると腰が痛いくなる一方で、「移動」というプロセスそのものがよろこびとなっているんじゃないかと思うんです。それであえて今回は「移動の最中」に焦点を当てました。
『時刻表2万キロ』著者の宮脇俊三さんは、「鉄オタ」という言葉がない時代から電車に乗り続けてきた“時刻表の神様”のような人です。時刻表そのものを愛して読み込み、ほぼ全てと言っていいくらいの路線を乗りつぶし、全国のさまざまな場所を訪れています。
彼の場合、旅先に行くというよりは、電車に乗ること、時刻表を網羅することが旅の目的になっています。この本を読んでいると、どこで乗り換えて、そこからどう進むかという、電車と時刻表を使ったゲームのような感覚も覚えます。一方で、旅先での地元の人々との会話など、どこか気の抜けたシーンも出てくる。そのバランスがとても好きなんです。自分で自分の旅の目的を決める面白さや楽しみ、自由さに満ちた、「移動のよろこび」の究極形です。
一方、徒歩の移動に注目したマンガ作品が『歩くひと』。タイトルの通り、ひたすら歩く人が描かれているのですが、全然セリフがないんです。それがものすごくいい。歩いている最中に何かが目に入ってきたり、ふと大切なことに気づく。その瞬間が、丁寧な描き込みとともに叙情あふれるかたちで表現されているんです。
著者の谷口ジローさんは、この本のあとがきで「何も求めず散歩に出かけてみると、どういう訳かその瞬間から、ゆっくりと時間が流れ始めます。おのずと気持ちが豊かになり、忘れてしまった懐かしいものを見つけたり、雲の流れに心地良さを感じられたりもするでしょう。道端の雑草や石ころを見た時、また別の感情が浮かび上がってくると思います」とおっしゃっています。僕は、そのさまが完全に「旅そのもの」だと感じています。
そもそも、本を読むこと自体、旅をしているようなものですよね。誰かの旅を追体験することで、自分を相対化することができるし、「こういう旅もあるんだ」という寛容な気持ちも生まれると思います。
でも、最後には体を動かしてみてほしい。本って、読んでおしまいではなく、その人の内側にある何かがどう動くかが大事だと思っています。それに、本で読んだ世界に自分で行ってみると、やっぱりちょっと違うんですよ。誰かの旅と自分の旅では、受け取るものも感じることも違いますから。GRAND PATIOで手に取った人の背中を押すものとして、今回の選書が役立つといいなと思います。
書籍は、本館1Fグランパティオにて
実際に手に取ってご覧いただけます
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夏になると、山や海などの自然に触れるためにキャンプやレジャーに行くのが好きな方も多いでしょう。
自然の中に身を置きながら、今までの人生や生き方を省みる素朴な述懐は、私たちに共感や新たな気づきをもたらしてくれます。そんな自然を愛し、山や森、島、そして海や湖などの水辺へ足を運ぶ人々の本に触れてみませんか。
登山やバケーション、自然生活での体験談、故郷の島への再訪。そこから見える世の中に対する考察。含蓄のある言葉に満ちたエッセイやノンフィクション、作品集などを集めました。
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食べ物、ファッション、建築、音楽、文学……。世界のいろいろな文化に触れることができるのも旅の魅力です。
知らない土地の匂いや空気を肌で感じて、その場所にいる人と同じ方法で、同じ物事を体験すること。これまで全く異なる環境で生きてきた人と出会い、言葉を交わし、互いに影響を与え合うこと。なじみのない風習や考え方に触れ、自分の常識を問い直すこと。旅を通じたこれらの経験が、わたしたちの見識を広げてくれます。
旅先での体験を通して、自分が本当に心惹かれること、必要としているものが見つかるかもしれません。
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長く続いた自粛生活を経て、”自由にどこかへ出かけること”のありがたみを痛感した方も多いのではないでしょうか。
目的地だけでなく、移動の時間も楽しむのが旅の醍醐味。
移動する過程で感じる土地の空気、少しずつ変わっていく景色、突然の動物との出会い、それらを五感で感じられるのが移動の魅力です。他にも、移動中に駅弁や機内食を楽しんだり、ドライブの合間にふらっとお店に立ち寄ったり、垣間見える車窓風景に想いを巡らせたり。この棚では、移動そのものの喜びに焦点を当てて本を選びました。
人と本の距離を縮めるため、公共図書館や病院、学校、ホテル、オフィスなど様々な場所でライブラリーの制作をしている。安藤忠雄氏の建築による「こども本の森 中之島」ではクリエイティブ・ディレクションを担当。最近の仕事として「早稲田大学 国際文学館(村上春樹ライブラリー)」での選書・配架、札幌市図書・情報館の立ち上げや、ロンドン・サンパウロ・ロサンゼルスのJAPAN HOUSEなど。早稲田大学文化構想学部非常勤講師。神奈川県教育委員会顧問。
Instagram: @yoshitaka_haba