百貨店建築で初の重要文化財に指定された日本橋高島屋と、その4度に亘る増築設計(1952年~1965年)を担当した建築家・村野藤吾に焦点をあてた企画展を開催。展示では、建築家・高橋貞太郎が描いた初期の図面(1931年頃)と、戦争により中断されたアンビルドの増築図面(1936年頃)、そして戦後に村野が高橋に敬意を払いながらモダンに読み替えた建築図面(1951年頃)など、貴重な初出資料を展示。日本橋高島屋の増築に込められた村野藤吾の建築精神を読み解く手がかりとして、また、再開発が続く日本橋において、今一度、高島屋の建築的価値を再考する貴重な機会となりました。
監修 : 松隈 洋 (建築史家・京都工芸繊維大学美術工芸資料館教授) Hiroshi Matsukuma
昨今のさまざまな建築展・イベントに登場し、建築解説を行っている、日本の近代建築研究の第一人者。本展で注目する村野藤吾の膨大な設計原図は、遺族から京都工芸繊維大学の美術工芸資料館に託されており、それらを調査研究する中心人物でもある。これまで多くの展覧会にかかわりながら、村野藤吾の建築を広く紹介してきた。今回は百貨店建築の図面が、里帰りのような形で日本橋高島屋にて展示された。
まつくま・ひろし 1957年兵庫県生まれ。1980年に京都大学工学部建築学科卒業後、前川國男建築設計事務所に入所。2000年から京都工芸繊維大学の助教授を務め、同大学准教授を経て2008年より現職。工学(博士)
かつて文化庁で、国の登録文化財、重要文化財の枠組みをつくってきた後藤治氏。日本橋高島屋の建築調査を行い、重要文化財指定に結びつけた立役者です。日本橋高島屋が重要文化財へ指定されるまでのいきさつを語りつつ、建築文化財は保存だけではなく活用も大切であることを解説します。戦後建築の保存の難しさと重要性が見えてきました。
<セミナーのポイント>
上段左以外すべて[提供:後藤 治]
日本橋高島屋増築部を設計した村野藤吾はどんな建築家なのか? どんな考えで建築をつくってきたのか? 建築原理をわかりやすく肌感覚で伝える大野教授が、その疑問に答えて特別講義。縮小都市の構想が注目される都市構想家でありながら、大学で建築を教えつつ建築設計するプロフェサーアーキテクトでもある大野秀敏氏による、村野藤吾論が始まります。
<セミナーのポイント>
上段左・右、下段右[提供:大野秀敏]
都市論の第一人者・吉見俊哉氏が、百貨店の起源を解き明かします。時は19世紀末。アジアとの交易が盛んになったヨーロッパでは万国博覧会が誕生。物品を一堂に集め陳列する世界規模の催しが続々開催されましたが、そこに百貨店のルーツがある!? 近現代の150年を一気に駆け抜けながら、都市文化の発信装置・百貨店の進化をたどります。
<セミナーのポイント>
上段[出典:黒田鵬心編『東京百建築』建築画報社、1915年]/下段左・中[提供:高島屋史料館]
人気の建築史家二人が語る、日本橋と高島屋の建築。江戸・東京のリサーチを重ね、その成り立ちをいつも興味深いストーリーで伝えている陣内秀信氏が、まずは日本橋に焦点を当てて秘められた構造を見せてくれます。つづけて、建築文化への広い視野をもちながら、工法、様式、建築家にいたるまで深掘りしてゆく姿勢に誰もが引き込まれる藤森照信氏が、日本橋高島屋で気づいた新発見を語ります。
<セミナー1>陣内秀信:都市空間としての日本橋の歴史
<セミナー2>藤森照信:東洋趣味を発見した日本橋高島屋
上段左・右[提供:陣内 秀信]/中段左・右[提供:藤森 照信]
かつて建築家でありながら評論家、小説家に転身した松山巖氏が、生まれて育ったまちの思い出をもとに、東京の100年を振り返ります。そこで浮かび上がるのは東京を変えた四つの事件。自身の小説さながらに、想像もつかない出来事が、古い世界を破壊し、新しい世界を創造してゆく、都市の現実を語ります。
<セミナーのポイント>
上段左[出典:『関東大震災記念――新旧対照』大成社、1924年]/下段左[出典:松山巖著『群衆――機械のなかの難民』読売新聞社、1996年]
第1回企画展監修を務めた松隈洋氏の村野藤吾論。村野藤吾の建築資料の多くを収蔵する京都工芸繊維大学の教授である松隈氏は、これまで何度も村野藤吾の展覧会を監修し、研究を続けてこられました。本企画展を機に振り返った、村野藤吾の建築思想を語ります。
<セミナーのポイント>
上段右、下段左・右[提供:松隈洋]